パリ五輪の柔道女子で惜しくも2回戦敗退となった阿部詩選手。
試合後、悔しさで号泣する姿に「感動した」、「もらい泣きした」など温かいコメントが寄せられ、会場では観客から「詩コール」と共に拍手が鳴り響きました。
そんな中、詩選手の号泣について「みっともない」「見苦しい」という批判的な意見が多く上がり、炎上しています。
なんで批判されているの?
何がみっともないの?
このような悩みを抱えている方の為に調査してまとめたので、ぜひ最後までご覧ください。
批判されている理由は?
他の記事では様々な理由が挙げられてますが、私なりに3つにまとめました。
- 柔道家としての姿
- 精神的な脆さ
- 相手や周りへの配慮
1つずつ見ていきましょう。
柔道家としての姿
これは、私の見解ですが「柔道家のお手本は篠原信一」という事です。
篠原さんは過去に、誤審によりオリンピックでの金メダルを逃したことがありました。
その時に篠原さんが残したコメントは
自分が弱いから負けた。それだけです。
この言葉は、名言として今でも語り継がれています。
誤審を責めるわけでは無く、「自分の弱さを認め相手に敬意を表す姿」が美しいとされ、日本中が感動しました。
そのため柔道家はこうあるべきと考える人は多いのではないでしょうか?
精神的な脆さ
柔道を始め多くの武道では、技術だけでなく精神面も重要とされています。
また、「礼に始まり、礼に終わる」が柔道の基本精神とされています。
なので、詩選手の号泣する姿は「思い通りにいかない子供みたい」、「精神を乱した」、「礼節を欠いた」と見られ批判に繋がったと考えられます。
相手や周りへの配慮
スポーツには必ず勝ちと負けがあります。
そして、オリンピックに出場している選手は全員、想像もできないような過酷な練習を乗り越えてきています。
その為ネットでは
相手に失礼。泣く前にまずは相手の強さを認め、リスペクトするべきでは?
という声が上がっています。
他にも
・試合進行が遅延して、他の選手に迷惑
・頭抱えている姿が「私が負けるはずないのに」という様に捉えられ、傲慢
・負けた詩選手に「詩コール」が鳴り響き、勝ったケルディヨロワ選手が可哀そう
などの声が上がっています。
なぜ号泣したの?
阿部詩選手の号泣について
まず前提として、過呼吸の症状がでていました。
精神的なショックで、試合後インタビューをできる状態ではなかったそうです。
試合の遅延は確かに非難されるような行為だったかもしれません。
しかし、批判するのではなく、日本代表として戦ってくれた事を称えて次に期待することの方が大事なのではないでしょうか?
批判や誹謗中傷はせず、応援しましょう。
まとめ
今回の記事をまとめると
・柔道家としての姿
・精神的な脆さ
・相手や周りへの配慮
日本では、「泣くことを堪える姿が美しいい」という風潮があるように感じました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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